貝塚の子どもたちの今と未来のために!自民党大阪府連総務副会長・田中がくさんのイマまで

U.K.こと楠雄二朗さん(Uちゃん)と、株式会社エースタイルの谷本吉紹社長(谷さん)がDJを務めるラジオ番組「それU.K.!! ミライbridge」。

前半は、関西で活躍しているビジネスマン、アスリート、有名人をピックアップし、その方のイマまでの歩み、そして、ミライについてお話を伺うミライ・リーダーのコーナー。

第97回目は、自民党大阪府連総務副会長・田中がくさんをゲストにお招きしています!

貝塚で出馬しようと決意するまで

本日は、貝塚市で市議会議員をされている田中さんにお越しいただきました。

子どもの頃はプロレスラーになりたかったけれど、身長が168cmにしか伸びなかったため諦めたという田中さん。

当時、スポーツ平和党で参議院議員をして活躍されていたアントニオ猪木さんを見て「自分もなりたい」と思い、政治家を目指すことを意識したのがちょうど二十歳の時だったとおっしゃいます。

まず何からしようかと思った時に、「大阪の夜明けは中央市場からや!」と思って中央市場でアルバイトしながらね、いろんなことをしました。

おもしろい!

そこから様々なことを経験して、23歳で起業。
商売人として奮闘する日々に、しだいに政治というものを忘れていくようになったそうです。

PTA会長として活動をしている時に、貝塚の子どもたちのことがすごく気になったんです。

田中さん「当時の市会議員さんね、70歳超えていました。子どものことなんか誰もなにも言わないですよ。子ども世代の人たちって選挙に行かないんですよね」

Uちゃん「有権者のことばっかり考えちゃうっていうことなんですね」

そうなんです。
それで、今僕が名刺にも書かせてもらっている「子どもたちに未来を!」っていうテーマを掲げて、自分が選挙に出ようと決意したんです。

周囲の反対と支えを経て、4期目へ

田中さんは此花区生まれで、貝塚には血縁もありませんでした。
そんな中、「貝塚で出馬する」と話すと、周りの人たちには落ちると言われたとおっしゃいます。

しかし、田中さんはご自身の師匠にこんなことを言われたそうです。

田中さん「僕の師匠が松浪健四郎さんで日本体育大学の理事長をやられてますけども、健四郎先生から『ほんまに貝塚のこと考えるんやったら、お前議員に出ろ』ということを言われて」

そこから選挙活動が始まり、初出馬で見事当選することになりました。

はじめは奥様の反対もありましたが、「3,000万円借金ができたら辞める」という約束でスタートし、当時経営していた会社の代表も奥様が引き継ぐ形で応援してくださったそうです。

今は4期目を迎えご活躍されている田中さん。

自民党大阪府連の総務副会長というのは、具体的にどういうことをされるんですか?

大阪府、大阪市、堺市以外には市町村がありますので、僕は今そこを束ねる市町村議員連盟というところの総務会長をやっているんです。
さまざまな執行機関、府連会長を決めるとか府連の役職を決めるとか。
たとえば府連大会。こないだ自民党大会がありましたけど、府連大会の規約を決めます。ルール決めは総務会でやりますので、今その総務会の副会長をさせていただいています。

すばやく実行された貝塚のコロナ対策とは?

貝塚では、以前中学3年生から二十歳までの子どもに1万円の給付金を渡すというコロナ対策が行われました。

子どもらちが「コロナ禍でバイトもできない」「授業料も払えない」とさまざまな苦労があるということで、扶養されていない二十歳まで給付金を出そうよと提案しました。

田中さん「私西村大臣と仲が良くて、いろんな対策をしたという話をしたんです。そうすると、コロナの交付金を渡したら車を買ったとかイルミネーションをしたとか、全然コロナに関係のないところにお金を使ったっていうのがあるので、『次は手挙げ方式やで』って言われたんです。それで、早くしよう!と思って、2021年年明けてすぐに市長と我々議会とか、市民に対して何してほしい?っていう声を聞いて、1月中に新しい対策ができあがりました」

その内容は、1万2,000円分のプレミアム商品券を二十歳未満の子ども全員に配るというもの。

前回は1万円でなぜ今回は1万2,000円の商品券かっていうと、簡単な話、1万円やったら梅田や難波でも使うんです。

そうですよね。

地元貝塚の活性化のため、商品券にしました。
だから大型チェーン店では使えません、個人商店です。

田中さんご自身で、街のスポーツ用品店といったお店に取扱店になっていただけるようにお願いに回られていたそうです。

しかし、逆境などはなかったのでしょうか?

その辺りの詳しいお話はまた次回!

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