大阪の未来のため先行投資する決断力あるリーダー。大阪市長・松井一郎さんのイマまで

U.K.こと楠雄二朗さん(Uちゃん)と、株式会社エースタイルの谷本吉紹社長(谷さん)がDJを務めるラジオ番組「それU.K.!! ミライbridge」。

前半は、関西で活躍しているビジネスマン、アスリート、有名人をピックアップし、その方のイマまでの歩み、そして、ミライについてお話を伺うミライ・リーダーのコーナー。

第87回目は、大阪市長・松井一郎さんをゲストにお招きしています!

やんちゃ少年、サラリーマン時代を経て市長へ

大阪・八尾のご出身の松井市長ですが、幼少期はどんな少年だったのでしょうか?

昭和39年生まれなんですけど、40年代の小学校中学校時代は友達も多くてね。
ちょうど万博の頃で、当時よくいたやんちゃな少年でしたよ。

当時、万博に行かれたことはあったんですか?

あります。小学校2年生のころでしたね。
大阪の当時の児童生徒は、みんな何度か会場に足を運んだんじゃないかなと。
万博では初めて見るものばかりで、すごくわくわくドキドキして、違う世界に来たような気分でした。

子どもの頃からお父様からは「とにかく自立できるようになれ」と言われて育ったという松井市長。

学校を出てから、最初は民間企業でサラリーマンをされていました。

谷さん「そういうサラリーマンの時代があったからこそ、今活かされてる部分っていっぱいあるんじゃないですか?」

松井市長「民間の感覚で、お金の使い方についてはよりシビアにもの考えています。適性規模、適材適所での人員配置とか、これを全部税金でやりくりしますので、しっかりと民間の意識を持ちながらやっています」

大阪の未来を守るための先行投資

松井市長は、市長の立場も府知事の立場を両方ご経験されてますが、市政と府政では何か大きく違うところはあるんですか?

大阪府知事より、市長の方が仕事量は多いです。

松井市長「大阪府知事っていうのは大きな仕事がメインなんですよ。たとえば万博、関空をいかに成長させていこうかとか、鉄道や新しい高速道路を作っていこうとか。大阪全体の成長のため戦略を作るといった大きい仕事がメインなんですよ。大阪市長はそういった大きな仕事プラス、子育て支援から、幼稚園保育園の運営、小中学校(義務教育)の運営まで色々な仕事を行っているんですよ」

僕ね、市長と府知事がすごい決断をされたなって思うのが、2020年といえばコロナが流行った大変な年でしたけど、
4月5月ぐらいに重症センターを作られましたよね?
今ほど大きな感染拡大がなかったあの時期に決断をされて、その重症センターのおかげでさまざまな命が救えてるのかなって。
なぜあの時期に作られたんですか?

それは吉村知事です。将来への備えとして作ろうと。
「空振りでもええやんか。先手先手でやっていこう」と、僕と吉村知事はずっと話をしてたんです。

松井市長「重症センターも何億円というお金がかかりますよ、税金投入していくわけだから。当時はすぐにコロナが収束して、ひょっとしたら必要じゃなくなるかもしれない状況で、そうなったら叩かれるかもしれない。でもその時、吉村知事も『もしからぶりやったらその時は謝ろう』と。でも結果、使わなくなるという方が良いことですから。この危機事情においてはね」

谷さん「まさにこれが政治なんかなって。そういう部分では経営者やなって私は勝手に思いまして。先行投資、大阪のために必要なことだという決断だったと思うんですよね」

超高齢化社会に向けた数々の施策とは?

先行投資として、今大阪ではいろんな試みを行っていますよね?
まずスマートシティ戦略。

これは大阪府と一緒にやってます。
これから超高齢化社会になっていく。スマートシティって言葉だけでは理解されにく部分があるんだけども、とにかく便利な街にしていこうよっていう。

僕は今3児の父親でもあるんですが、子育てがすごくやりやすいなって感じています。
大阪府、大阪市はいろんな支援をやっていただけるじゃないですか?これは素晴らしいなと。

そんな松井市長が政治活動をする上での原動力になっているものは、「怒り」だとおっしゃいます。

松井市長「僕が政治家になったのは2003年なんですけど、民間で頑張って納税してるのに、役所に来るとゆるゆるなんですよ。民間で頑張って納税しててもね、結局ムダなところにばっかり使われてね。それでも(役所側は)みんな平気やしね。政治家を続けてきたのは、それに対する怒りかな。そういうのを変えようって」

対して、プライベートでの癒しは家族と飼ってらっしゃる猫なのだそう。
「やっぱり家族と猫。安らぐところがあることの有難みが歳取ってより身に染みるようになってきましたね」

最後にひとつ、谷さんから松井市長へ質問が。

僕は介護福祉の仕事をさせてもらってるんですが、この分野でおこなっていきたい施策などがあればお伺いしたいです。

健康寿命を伸ばしていけたらと。
そのためのサービスとモノを生み出していこうよ、ということで万博を誘致したいと思っていますね。

松井市長「2025年の万博のテーマっていうのは、“いのち輝く未来社会のデザイン”なんですよ。1970年の万博は高度経済成長、戦争で負けた我が国が世界に力を見せていく国威発揚。そして、めずらしいものを展示するそういうものでした。次の万博では、今の課題を解決する、みんなが参加する。その課題っていうのは、僕は超高齢化社会だと思っているんです」

今松井市長のお父様は平均寿命の年齢で、施設におられるのだそうです。
元気な方だったそうですが、どんどん自分で自分のことができなくなってきているとおっしゃいます。

僕が最初に万博でゆってたのが“健康、長寿”っていうキーワード。その中で最後まで自立できて人生を過ごせる。健康寿命と平均寿命のタイムラグ、この10年ぐらいの時間にみんなが施設で世話にならないといけない。いずれ自分も迎えることですし。
ここをなんとか短くしてあげたい、と。

万博は、時代を変えるための博覧会でもありますからね。

気になる続きのお話は、また次週たっぷりとお伺いしていきたいと思います!

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