U.K.こと楠雄二朗さん(Uちゃん)と、株式会社エースタイルの谷本吉紹社長(谷さん)がDJを務めるラジオ番組「それU.K.!! ミライbridge」。
前半は、関西で活躍しているビジネスマン、アスリート、有名人をピックアップし、その方のイマまでの歩み、そして、ミライについてお話を伺うミライ・リーダーのコーナー。
第80回目は、正道会館空手 総本部師範・元K-1競技統括プロデューサー・角田信朗さんをゲストにお招きしています!
漫画『空手バカ一代』の影響で空手の世界へ
エースタイルの女子硬式野球部の室内練習場のそばをたまたま通られて遊びに来てくださったのがきっかけでご縁が繋がった角田さん。
ラジオのゲストとして来ていただきました!
角田さんといえば、K-1でずっと戦ってきて、レフリーもされてましたよね。
元々は空手から始まったと思うんですが、きっかけは何だったんですか?
子どもの頃いじめられっ子で、体も細かったし、メンタル的にも強くなかったんです。
小学校4年生の時にすごいいじめられて、父親に話すと「悔しかったら強くなれ」と言われたんです。
そんな時に、当時の『週刊少年マガジン』に梶原一騎先生の漫画『空手バカ一代』が連載されており、「自分もこの人たちみたいになれるかもしれない」と思ったのが空手を始めるきっかけだったとおっしゃいます。
K-1グランプリ誕生秘話
空手と出会い、「プロになろうと思ったわけではなく、気が付いたらプロになったいた」という角田さん。
そこからK-1が生まれて統括プロデューサーになられたってことは、立ち上げメンバーでもあったってことですか?
高校の時に入門したのが極真空手の芦原道場なんですが、関西を中心にものすごい大きな組織を広げていったのが、K-1を作った今の僕の師匠の正道会館の石井和義館長なんです。
角田さん「空手をメジャーに格闘技をメジャーにするためのアクションをずっと起こしてくれていた方で、館長とずっと運命を共にしてきました。『僕らのライバルはボクシングでもキックボクシングでも柔道でもない。僕らのライバルは野球やサッカーや』と」
それから1993年にK-1グランプリが生まれました。
当時はまた深夜枠での放送だったそうです。
格闘技のインフラ整備で世の中を変える
収入を得るっていうのはなかなか難しいんですか?
空手っていうのはアマチュアで、道場をやっても公民館で週3回とか。
K-1を始めて何が生まれたかっていうと、もちろんファイターとしてのプロもあるけども、“道場を経営して生活を成り立たせる”っていう意味でのプロが生まれたんですよね。
角田さん「だからK-1の一番の成果っていうのは、格闘技のインフラ整備だったんです」
さまざまなメディアにも出演されていますが、最近では格闘技以外の分野にも活動の場を広げられていらっしゃいます。
今は企業の若い人たちのモチベーションをあげたり、体づくりのお手伝いをしたりしています。
他にも、ウェルエイジング(年相応に丁寧に身体を扱い楽しく生きていく)を発信していくのが今の僕の大義名分ですね。
角田さんは、YouTubeチャンネル『角田信朗のなんやかんや』も配信されています。
ぜひ皆さんチェックしてみてくださいね!