株式会社デイサービスセンターうららか 代表取締役社長・住所和彦さんのイマまでの歩み

U.K.こと楠雄二朗さん(Uちゃん)と、株式会社エースタイルの谷本吉紹社長(谷さん)がDJを務めるラジオ番組「それU.K.ミライbridge」

前半は、関西で活躍しているビジネスマン、アスリート、有名人をピックアップし、その方のイマまでの歩み、そして、ミライについてお話を伺うミライ・リーダーのコーナー。

第14回目の今回は、株式会社デイサービスセンターうららか 代表取締役社長・住所和彦(じゅうしょかずひこ)さん をゲストにお招きしています!

実は住所さんと谷さん、以前のゲストの株式会社パズルの北野社長のマッチングで、お知り合いになったんだとか。

谷本さんのことは一目見て、あぁなにか同じような魂を感じるなと思いました!

考え方であったりですとかすごく共鳴できて、でもいい意味で似てない部分もあって。仲良くさせていただいてます!

実は遅咲き?フリーターから社長への道

デイサービスセンターうららかでは、総合福祉事業として高齢者福祉デイサービス事業を中心に、障害者の支援や、また医療事業部では訪問看護の事業を行っております。

今でこそ独立して代表取締役社長を務める住所さんですが、昔は定職に就かず将来に迷いながらフリーターのような生活を送っていたといいます。

住所さん、加古川のヒッピーだったんです。

ははははは!
フリーターからいきなり介護職って、ハードル高いと思うんですけど、どうして目指されたんですか?

住所さん「私には看護師の姉がいるんですけど、人の命を扱う難しさと真剣に向きあう姉の姿が、一言で言うとカッコよかったんです。それで『この仕事いいねぇ』って姉に伝えたら『介護はもっと深いよ』とアドバイスをくれたんです」

お姉さまの言葉をきっかけに介護職を目指され、住所さんが専門学校に入られたのが23歳の時。高校を卒業してすぐ専門学校に通うのが一般的な流れの中で、まさに遅咲きでした。

最後までその人らしく——信念の原点と祖父の煙草

「私たちの仕事は命の終わりとの戦い」だと住所さんは仰ります。「お客様の命をロウソクの火に例えるなら、その火が消える最後までその人らしく生きていけることを演出したり、命が最後まで輝き続けることをプロデュースすること、それが仕事だと思ってます」

その人らしく演出する…発想がすごいですね。そう思うようになられた切っ掛けってなんですか?

きっかけは住所さんのお爺さまと煙草でした。
煙草が何よりも好きだった住所さんのお爺さま。老人保健施設に入って、煙草を辞めざるを得ない状況になったとき、そこの看護師長さんがお爺さまのために喫煙室を作ろうと提案してくださったそうです。

その喫煙室で、最後の最後まで祖父は煙草を吸えたんです。

住所さん「歩けてたのに歩けなくなってくる、吸ってた煙草の数もだんだんと減ってくる。自分の命の短さを祖父も分かっていたと思うんですね。その中で、煙草が祖父らしさの表現というか、祖父らしく居続けることに繋がっていたと思うんです」

この出来事は、介護の資格を取ったばかりだった住所さんの胸に大きく響きました。

住所さん「看護師長さんが祖父が自分らしく居続けることに手を貸してくれたのを見て、あ、これやなって思ったんです。看護師さんの発案で、病院が動いて、すごい仕事やなぁって」

住所さんのイマとは?

住所さんが独立したのが2010年4月、高齢者の通所介護サービス(デイサービスセンター)からのスタートでした。

前途多難でしたか?

経営の仕組みがわかっていなかったんで、特にお金の面で苦しみました。谷本さんや色んな経営者さんにアドバイスいただいて、3歩進んで2歩下がるみたいな経営をやっております。

最後に住所さんに現在の状況を伺いました。

住所さん「この9年で、在宅ケア、最後までその人らしくを地域サービスで提供するために、必要だと思えるものを自分なりに広げたつもりです。
やっと今、経営の仕組みも分かってきて、従業員に自分が何をしたいのかという想いの伝え方なんかもちょっとずつ勉強して、やっとこう従業員と気持ちが通じる会社になってきたと思っています」

株式会社デイサービスセンターうららか

株式会社デイサービスセンターうららかは、接遇(おもてなし)で介護業界のイメージと質に革命を起こしたいと考え、2010年4月にデイサービスセンターうららか加古川本店を開設しました。

株式会社デイサービスセンターうららか