U.K.こと楠雄二朗さん(Uちゃん)と、株式会社エースタイルの谷本吉紹社長(谷さん)がDJを務めるラジオ番組「それU.K.ミライbridge」
前半は、関西で活躍しているビジネスマン、アスリート、有名人をピックアップし、その方のイマまでの歩み、そして、ミライについてお話を伺うミライ・リーダーのコーナー。
第6回の今回のゲストは、もう世界的な方ですよね!谷さん!!
ボクシングの元・世界スーパーフライ級チャンピオンの徳山昌守さんです!
ボクシングを始めたきっかけとは!?
全日本フライ級新人王、第19代OPBF東洋太平洋スーパーフライ級王座、さらにはWBC世界スーパーフライ級王座など、すごいご活躍をなさってきた徳山昌守さん。
しかし、小学3年から中学3年まではお父さまの空手道場に通っていて、ボクシングは未経験でした。
なぜボクシングを始められたのでしょうか?
実は、高校で空手部に入ろうとして道場に向かってるとき、その手前のボクシング部の部室に間違えて入っちゃったんです。
間違いがきっかけでボクシングの見学をした徳山さん。部の先輩たちの汗がカッコよさすぎたこと、そして階級別のボクシングでは体が小さいことが不利にならないことに魅力を感じ、ボクシングに転向しました。
単身大阪へ——名トレーナーとの運命の出会い
ボクシングの充足感が忘れられなかった徳山さんは、プロを目指して単身大阪へ向かいました。
親の反対を押し切って大阪に来た徳山さん。しかし、最初に入ったジムは練習にあまり身が入ってなかったといいます。
もうこんなぬるい練習じゃアカン!と思って、大阪中のジムを見学した徳山さんは、グリーンツダジムに入ります。
そこでメキシコ人の元世界チャンピオン、ヘルマン・トーレスってトレーナーに「あなた絶対私と組んだら世界チャンピオンになるよ」って言われたんです。
まるで占い師のようですね!
「あなたには体格も根性もあって運動神経もある。ただそれを動かしてくれる人がいないとダメでしょ。僕がその動かす人になるから、あなた私と組みなさい。私と組んだら絶対世界チャンピオンにさせる自信がある」
その言葉は当時19歳だった徳山さんの心に響き、ヘルマントレーナーと組んでめきめき実力をつけていきました。
そして、徳山さんは2000年にWBC世界スーパーフライ級王者で無敗の曺仁柱(チョ・インジュ)選手に挑んで、なんと12回判定勝ちで王座を手に入れました。
どん底から再びチャンピオンへ
そこから8回の防衛を果たましたが、しかし9回目の防衛で1ラウンドKO負けという屈辱的な負け方をしました。
最初は「もうあんな苦しい練習、つらい減量をしなくていいんだ」という安堵感がありましたが、日にちが経つにつれ悔しさがこみあげてきたと言います。このまま辞めてもいいのか、そう葛藤する中で、徳山さんはこう思うようになったといいます。
徳山さん「ボクシングの神様が1ラウンドKO負けという試練を与えてくれたんじゃないかと思うようになったんです。 『そこから這い上がってこい、そしたらお前はもっと大きい男になれる』って」
そこから猛練習の日々を送り、1年後にリベンジを果たして、再びチャンピオンの座に返り咲きました。
運をつかむ男の法則っていうのは、何が起きてもそれをどう受け取るか、どう解釈するのかですよね谷さん。
そうですね!